心のキャパ増やしたい

2ヶ月ぐらいTwitterをほぼ放置プレイしとって、2月10日のタのライブの日に気が向いたけツイートしてみようと思ったんやけど、この前縁切った友達とか彼氏とかリア友とかにツイート見られたくなすぎて、大半をツイッターサークル内で呟いてしまっている。

 

私のツイッターサークルは20人ぐらいで、ほとんどがタリスナーの相互さんである。

 

縁切った友達とかリア友とかはまあある程度どうでもいいんだけど、彼氏にツイート見られたくないんよね。

 

 

 

私さ、恋人が出来たらそれ以外の人間関係を必ずひとつ棄てなきゃいけなくなる思っていて、私も私の彼氏も、高校の時の友達もこの前縁切った友達も、私の周りの人みんなそうだから。

 

私は彼氏ができたら高校から短大まで一緒だった友達に避けられるようになった。その友達といるの楽しかったけど、性格と価値観が合わなすぎて一緒にいるとめっちゃ疲れるなーと思うこともあったから、疎遠になっちゃったことあんま気にしてないけど。

私の彼氏は高校の時の友達と縁切ったらしい。それは私のせいとかじゃないんだけど、今まで仲良くしてた関係がひとつ壊れてしまった事には変わりないよね。

私の高校の友達は彼氏できてすぐ、クラスの人と喧嘩しちゃって縁切れたみたい。詳しいことは分かんないけど。

ずっと一番仲良かったけど訳あって私が一方的にLINEブロックした親友がいるんやけど、彼女に新しい彼氏さんができてから私は彼女のLINEブロックして縁切った。訳あって、ごめんね。彼女にとっては棄てなきゃいけない関係性の対象がたまたま私だったのかな。

 

『恋人』という新しい繋がりを手に入れると、引き換えに今まで所持していた別の繋がりを、どれか棄てなきゃいけなくなる。

別の繋がりを棄てなきゃいけなくなる理由が『恋人ができたこと』と直接的に結びつかなかったとしても。

全部全部繋ぎ止めていようとすると、キャパオーバーになる。んだと思う、多分。

 

 

 

私自身さあ、彼氏ができてから棄てた繋がりってひとつだけだと思ってたんだ。

けど多分、私が棄てた繋がりって実はもっと多いかもしれない。

棄てかけた繋がりも含めたらもっともっと多いと思う。

 

前はゲーム実況者の動画めっちゃ追ってて、実はあんまり興味無いポケモンカードの動画とかもしっかり全部見てた。けどいつだったか、ポケモンアルセウスが発売してからかな、ポケモンのゲーム実況が増えて増えて、私ポケモン全く分かんないから動画に着いて行けなくなったのよ。そこからほとんど見なくなっちゃって。

前はとりリスナーさんとdiscordでゲームしてた。いっぱいいっぱいしてたね。けどあの日、私が彼氏といる時に間違ってそこのdiscordに通話かけちゃって、たまたま男性の方が電話出て、それを彼氏に聞かれて、不安にさせてしまって。これに関しては私が全面的に悪くて、彼氏もとりリスナーさんも何も悪くないからごめんなさいなんだけど、それ以来彼氏のこと不安にさせたくなくてdiscordやめたんよ。

前は推しのタさんの歌いっぱい聴いてた。歌ってみたが更新されたら悶えて、ひたすらライブに行きたがってた。けどいつからか、コロナでライブが無くなりそして歌の更新頻度が激減して、、、人間不信になったのもここら辺からだな、大雑把に言うと。推しの事が信じられなくなった。タのコンテンツとか活動プロセスとか、雑談配信のトークとかルックスとか、前は全部好きだったけど今はもうそんなものは好きじゃなくなって、ただ彼の歌が好きっていう気持ちだけが残ってしまった屍。でも歌の供給がほぼ消えた今、推しに対する熱量はゆっくり落ちてく一方。

前はもっと好き勝手Twitterやってた。けど彼氏ができてから、彼氏にツイート見られてるって思いながら呟くようになった。だから男性フォロワーに自分から絡みに行かないように、推しも含め他の異性のこと褒めるツイートしないように、考えて気をつけてTwitterしてる。

Twitter放置してる時インスタも放置してたから普通にリア友とも疎遠になってる。

 

私彼氏できてから以外と無意識に別の繋がりたちを棄てている、、?

棄てる一方でほとんど増えてないし。

元に戻そうとも増やそうとも思えなくなったし。

 

 

 

それがどうしてだろうか、たった一日で変わってしまった。

 

たった今タワンマンに行ってきたら推しに対する熱量が急激に増した。

四人のゲストさんの生歌も聴けて感動して、もっと聴きたいと思ってしまった。

暴れるのが楽しくてこのあまりにも無秩序な空間を好きになった。

気が向いてTwitterを開いたらいいね押してくれるフォロワーがいてニコニコした。

たった3人だけどフォロワーに会って、会えなかったフォロワーとも次回会うことになった。

 

私はここ数ヶ月数年で棄てかけてたいくつかの繋がりたちをたった一日で手元に帰還させてしまった。

 

しかし今現在私のキャパシティの中の大半は彼氏が占めてて、もうこれ以上繋がりを所持できる容量は残っていないのでは?

 

このまま棄てかけた繋がりを拾い上げて新しい繋がりも手に入れようなんてことしたら、恐らく私自身はキャパオーバーになって、また何かを棄てなきゃいけなくなるんだろうけど、その対象が彼氏以外に無いのではないだろうか。他の繋がりはもう棄ててしまっていて、手元にはそれしか残っていない。

 

 

 

私のツイッターサークルのツイートは彼氏には見られていないけども、サークル内で呟く度にちょっと罪悪感を感じる。なんか隠れて悪いことしてるみたいで。でもツイート見せて不安にさせなくないし。

 

こっそりアカウント変えようと思って別垢作ったりもしたんやけど、そっちの方がなんか罪悪感強くて結局何もツイートできず。

今のアカウント捨てたくないし。

 

多分私が考えすぎなのもあるんだけど、好きな人の事は大事にしたいの。好き過ぎて別の繋がりたちを落っことしてしまうぐらいには好きだし、大事にしてもらってるし。毎日楽しいし。

 

これ読む人が私の彼氏をどんな人だと読み取るかが想像出来ないんだけど、一年半付き合ってる年上の人。初めて付き合った人。喧嘩したことない。

束縛とかされてなくて、全部私のエゴでこうなってしまっただけだから。

東京にライブ行くって言った時はめちゃくちゃ心配されたけど、行っておいでって言ってくれて、ちゃんと私を優先してくれる人。余裕で普通に私のサークル内見ても受け入れてくれるかもしれない。

 

そんな良い人で大事な人だからこそ、私のキャパシティの中で彼氏の存在が膨れ上がってこうなったのかな。

 

彼氏のこと100%信用してる訳じゃないから大事にされなくなったらそりゃ迷わずお別れするつもりだけど、私は自分のことの方が信用できないね。

彼氏のことずっと好きでいる自信無いから。

 

これ私だけかもしれんけど、自分のこと好きになってくれた人を突き放すのがとてもしんどい。自分が相手をどう思っていようが同じ。申し訳なさで押し潰されそうになる。

故に彼氏との繋がりを棄てるのが辛くて怖くて億劫でしんどくて。

 

でもどうせ次の拳に私は行くんだろうしフォロワーにも会うんだろうし、私のキャパシティは増えないだろうから、もう流れに身を任せるしかないね。今度彼氏に会ったらここに書いたこと全部言いたい。言える自信は全く無いけど。ごめんね。

親友のLINEブロックした後の話

8年ぐらいずっと一番仲良かった親友のLINEをブロックしました。

気持ち悪くなっちゃって。

 

 

 

高校生の自分から手紙が届いて、

『〇〇(親友の名前)のこと大事にしてね』

って書いてあった。

 

 

私は私を裏切った。

 

高校生の私は親友と一生親友なんだろうなって、何となくだけど根拠もないけど強めの確信があったのに、

 

現在の私は親友を気持ち悪いって思ってブロックしている。

 

今の私は過去の私を裏切った。

 

信用されてたのに。

 

 

 

人って変わっちゃうんだ。

人間不信?になっちゃった。

 

 

 

過去の私を裏切った現在の私は、

未来の私に裏切られるかもしれない。

 

だからもう信用しない。他人とか未来の自分とか。

 

自分が傷つかない為に。

 

 

 

 

未来の私を信用しなくなった現在の私は、

彼氏に『好き』が言えなくなった。

 

未来の私を信用できないから、

自分の発言に責任が持てない。

 

明日の私も、一年後の私も、十年後の私も、三十年後の私も、今の私と同じように彼を好きでいられるかな。

 

今好きなのは事実だし不安にさせたくないのに、

 

彼に伝えたいその二文字が最近えげつないほど重たくて、喉より外に飛び出てくれなくて苦しい。

親友のLINEブロックした話

最後に記事書いたん2021年やけど、もう2023年になってしまったみたい。

 

 

四大に編入して三年生が修了しようとしていますけども、心はまだ18歳ぐらいでその場足踏みしてますね。

 

 

大学はなかなか良いですわ。設備も教育も何もかんも短大より優れている。充実してる。やっと少しだけ書道が楽しかったこと忘れられたかも。

 

 

 

んでこの話はしたかどうか忘れたんやけど、バ先で彼氏できて1年半が経ちましたね。なかなか幸せ。

 

彼は社員で8歳上やけど、それはそれはとても大事にしてもらっておりますね。

 

 

 

 

そして私の友達はマッチングアプリってやつで彼氏を作ったみたいでね、幸せそう。

 

 

マッチングアプリ』ってやつで。

 

 

 

マッチングアプリなんか使う奴ヤベー奴やろ貞操観念狂いすぎかよ気持ち悪って私は思ってた。

 

 

今日は親友のLINEブロックした話しますね。

 

 

今の時代はさ、普通なんよアプリとかネットとかで恋人作るって。大学生結構みんなやってるらしいし。

付き合う前とか付き合ってすぐとかにホテル行くのも別に変なことじゃないんよね。一般的にはね。

 

 

私が悪いんよ、それは分かっとん。でも気持ち悪くて気持ち悪くて。何でなんかな、もっと普通に友達の恋愛を応援できる人間に育ちたかった。

 

 

 

いずれ結婚したいとか話されたらしくて、付き合って1週間ぐらいでホテル行ったって聞いて、やっぱりって思っちゃって。

 

『結婚したいぐらい好きだからやらせて』って意味じゃん、遊ばれてるようにしか見えん。

 

 

でも好きなんだって、アプリの男性が。三回ぐらいしか会った事ないようなアプリの男性が。付き合う前から女性を車に乗せたり手握ったりする男性が。デートの八割ホテルに連れてくような男性が。優しいんだって。生理の日以外ホテルって事じゃん。ヤリモク以外の何なん。そんな人好きになる貴女も気持ち悪いよ。大事にされてるように見えない。

 

 

 

前に貴女に車の免許取らんのって聞いたらお金が無いから行かないって言ってたのに、今では彼氏に自分で会いに行けるようになる為に免許取るって言い出して、どこからとも無くポっと30万を用意してきて車校行ってくるって言うもんだから、貴女はよっぽど好きなんですねアプリの気持ち悪い男性がね。

 

別に好きにすればいいけどさ。

 

 

 

貴女がアプリで彼氏作ったって私に連絡してくれた日から、私どれだけ心配したと思う?

LINE返ってこない時間が長いと何かトラブルに巻き込まれてないかなとか、嫌な目に遭ってないかなとか、生きた心地がしない時間がどれだけ長かったことか。

 

でも貴女が幸せなんだったら私が心配する事自体間違ってるんだろうね。

 

 

 

私は貴女と二人で会う時には、例え思ったとしても絶対に彼氏に会いたいなんて言わなかった。気をつけてたから。彼氏の話すらしなかったでしょ。

 

でも貴女は堂々と私に『彼氏に会いたい〜』って言ったでしょ。

 

今私と会ってるのに。

私と遊ぶの楽しくないんだね。

もうそれ以上聞きたくない。

 

 

 

それでも私ね、マッチングアプリに偏見持つのもうやめよう、友達が好きになった人だからって自分に言い聞かせて認めてあげようとして、惚気とか聞いてるうちに認めてあげられるようになるかなって思って、彼氏のクリプレ一緒に買いに行こうって誘ったりして。

 

 

なんかね、聞けば聞くほど気持ち悪くなって。

 

最低な人間よね私って、なんで普通に友達の恋愛応援できないんだろう。

 

 

 

嫉妬とかじゃないんだけど多分、軽蔑に近い感じかな。

 

ただやりたいだけでアプリに登録する男性と、

寂しくて話聞いてほしい人肌に飢えた女性の、

憐れで汚い恋愛を蔑んでる

 

んだと思う、、多分、私。

 

 

 

いや分からん。

 

8年間ぐらいずっと一番仲良かった親友を気持ち悪いって思っちゃうこの感情がどっから湧いたんかは自分でも良く分からんし、この気持ちを正確に人に伝える為の言葉を私は知らんし、知る術も無いし、

 

誰かに話したって今時マッチングアプリとか気持ち悪いって思ってるの私だけやし、

 

私がそういうの気持ち悪いって思ってるのと同じように、女子大生とアラサーが付き合うのありえないって思ってる人も居るだろうから、

 

誰一人私の気持ちは分かんないと思うし、分かってもらいたいとも思ってない。

 

私の考え方とか感情とかを他人に押し付けるのは良くないから自由にしてほしいけど、

 

 

私は貴女が気持ち悪くて仕方ないし今まで通り普通に会話出来なくなっちゃったから、

 

でも友達の事も友達が好きになった人の事も気持ち悪いとか思いたくないから、

 

 

友達やめさせて?

 

 

 

私と関係ないところで幸せになってもらっていいかな。

 

気持ち悪いとか思われたくないやろうし。

 

貴女は私と居るより彼氏さんと居る方が楽しいみたいだから、私と会う時間が減って彼氏さんと会う時間が増えるなら貴女にとってもそっちの方が幸せでしょ。

 

 

 

一緒に彼氏のクリプレ買いに行く日が最後だから。

 

じゃあまたねって言って手振って背を向けたらもう私達が話すことは無いから。

 

貴女は何も悪くなくて、私が悪いから。

ごめんこんな友達で。

彼氏さんに大事にしてもらって、幸せになって。

もう連絡して来ないで。

 

 

なんて事は言ってないけど、じゃあねって普通の去り際と区別の付かない最後のお別れを言った後、雪の中歩きながら親友のLINEをブロックしました。っていうお話でした。

自分と他人

ひっさびさにはてブロ開いたら下書きに何個かあったから公開しといた。時系列バラバラすぎた。


学校は相変わらず楽しくないけど、四年大に編入学することにした。四大の方がもっと本格的に専門的に芸術が学べるから。




でね、今はスーパーの惣菜でバイトしてて、接客じゃないし製造が主な仕事だからまあまあ楽しくやってる。

前のとこ辞めてよかった。てかもっと早く辞めるべきやった。そんで最近は前のバ先におった時とは全く別のことで悩んでる。


人に仕事教えるのってむずくね?


所詮バイトやし、誰でもできる仕事ではあるんやけども、お客さんは惣菜を見た目で選ぶやん?

だから作業スピードに加えて商品化も大事なんよ。


迅速かつ丁寧に製造するコツを教えるのがむずすぎる。芸術教えるのに似てる気がする。自分の説明力の無さに幻滅する日々よね。



なかなか後輩が育たないから、ちょっと強めに指導するべきかと思って、出来てないところはっきり指摘してたんよ。

あと時間指定したりね。この作業は私がやったら15分で終わるから、遅くても20分ぐらいで終わらせてね、とか。

でも自分ではあんまり厳しくはしてないつもりやった。


今日主任に言われたことがあって、

『後輩ちゃん、ぱち先輩が怖いって店長に相談してるみたいよ』って。



よく考えたら私が出勤してる日に後輩ちゃん腹痛で休んだり、休み希望再提出したりしてたなぁ。

自分って自分が思ってる以上に怖いんやね。もしかしたら他の後輩や先輩にも怖がられてるんだろうか。


割と普通にショックだった。



けど8割ぐらいショックで残りの2割は怒りかな。


今から酷いこと言うけど、

「私が怖いと思うって、どんだけ甘ったるい環境で育てられたの?」って思った。それが2割。


だってそんなにめっちゃ厳しくはしてないつもりだったから。私の前のバ先とかに比べたら私の教え方は遥かに甘い指導だったはず。


私は部活で、同じこと何回も指摘させるな、ぼーっとせずに何か仕事を見つけろ、って教えられてきたから、学校行事とか協力しないといけない時に何もせずにぼーっとしてる人見たら腹立つんよね。周り見て動けよって思っちゃう。


だから今のバイトではその経験が役に立ってる。


でもだからこそ、後輩がのんびり作業してたりぼーっとしてるとイライラしちゃう。何したらいいか分からなかったら「何したらいいですか?」って先輩に聞くのが当たり前でしょ?って思ってしまう。

それで意識してなくても厳しい言い方になってしまったんかな。


自分が部活とか前のバ先とかで厳しく指導されてきて、当然それは今役に立っとるけど裏目に出る時もあるんだな。


酷いなぁ自分、もうどうしていいか分かんない。

やっぱり人間って苦手だなぁ、、

仕事について

学校の卒業研究で何やるか迷っとんやけど、うち小学生の頃から陶芸が好きで月2回ぐらい習いに行っとったけん陶芸やろうかなーって思ったんよね。

でも陶芸を卒業研究でやったところで卒業したらその技術が活かせる仕事に就ける訳じゃないけ、まあ言い方悪いけど無駄になるんよね。


大学教授曰く窯元に弟子入りっていうのは最近はほとんど無いし、陶芸教室のインストラクターとかも求人が少なくなってきてるから、普通に雑貨屋とかに就職して販売業するみたいな人が多いって。

中には本当に実力がある人は自分の作品売って自営業してる人もいるらしいけど。

自分がそこまで陶芸を本気でやれるか分からん。

少なくとも書道の方が好きだし…。


だから大学で陶芸やって結局その技術無駄にするよりはデザインとかみたいな仕事に直結する勉強した方がいいんかなーっていう話。


高校で書道本気でやって結局その技術無駄にしたから、陶芸で同じ道辿りたくないな。

劣等生

大学が楽しくないんよ。

友達もちょっとだけ作ったし、高校から一緒の友達もおるけん、それに関しては別に良いんやけどさ。


入学する前はさ、友達作らずにひとりで授業受けに行ってそれなりにちゃんと勉強して、ちゃんと知識と技術身につけようと思っとったんやけど、なんか逆になっちゃったかも。

意外と気の合う友達もできて、今までの友達ともまあまあ楽しくやってる。

逆に授業が結構レベル低くて楽しくない。得られる知識も少ないし技術も上達せんのよね。先生あんま教えてくれんし。作品否定されると悲しくなるけど逆に否定されんかったら改善点分からんくね。


こんだけ学費払っとるのにこれかよみたいな。
受けたい授業被りまくっててめっちゃ妥協したし。

受ける学校間違えたんかね。
それとも大学ってこんなもんなの?


多分やけど、大学が楽しくないやなくて高校が楽しすぎたせいで相対的に大学がつまらんく感じるんやと思う。

高校は私より上手い人が周りにいっぱいおったけん楽しかったんかな。先生が凄い先生だったからかな。


いっつも授業で1番前の席座ってて先生に褒められるようなレポート書いて、いかにも優等生って感じの人がおるんやけど、ちょっと苦手なんよね。

優等生って苦手。

優等生見てると自分の劣等感は倍増するし、なんか幸せそうな顔してるの腹立つし。


でも結局はそんな人が生き残ってくんだよな。
それが世の中なんだから。

社会は私みたいな落ちこぼれよりそういう成績優秀でコミュ力の高い人材を求めてるんだから。

大海を知る

いつの間にか夏も近づいてきた。対面の授業も始まりつつあるけど、相も変わらず自分の歩く道を決められん。


私は何が好き?

推し、Twitterのフォロワーさん、書道。


書道、大好き。

小3から書塾に通ってたから、高校卒業までの人生は筆を握ってない期間の方が短いし、仲良しの親友みたいな形で私の生活の一部に書が在った。


受験する高校を選ぶとき、書道を専門的に勉強できる学校を見つけてここしかないって思って、全くよそ見せずにその学校を目指した。

私の高校生活の9割は書道やった。
9割は盛りすぎやろ。いや気持ちは9割よ。


人生が楽しくて仕方なかったときっていっつも書道が隣に居った。好きやった。心の底から楽しかった。書道部の顧問の先生、いい先生やった。上手くなりたいって思った。



辞めちゃった。


後悔するかな。今更後悔しても遅いってば。

私は書道を辞めたんだ。


理由はね、
書道を生業にするには書家になるか、書道の先生になるかのどっちかだから。扉が2つしか無いんよ。

人と話すの嫌いで特に人に教えるのはもっと苦手やけ、先生になる扉は開けれん。


進路決めないけんときに書道はちょっと自信ないなって思って美術を選んだ。

美術って一言で言っても絵画とか写真とかデザインとかいっぱいあるやん。デザインの中にもプロダクトデザインとかインテリアデザインとか、グラフィックデザインとかいっぱい扉があるけん。

でもやっぱりずっと続けた書道を辞めるのは抵抗あってモヤモヤ感抜けんまんまやったとき、顧問の先生に結構な量の宛名書き頼まれたけ、小筆扱うの苦手やったけど書いたんよ。私が席を外した瞬間に顧問の先生が放った言葉、


『書けると思って頼んだのに、これやけね。』

後から部活の友達に聞いて涙が噴き出した。次の日の朝は瞼が腫れた。私が書いたやつは捨てられて、部内で一番上手い人が全て書き直したんだそう。


私3年間何してたん。専門的に書道勉強してきたはずなのに、こんなのも書けんのん。

絶望感は半端ないけど、これでもう一つの扉も閉ざされて向こう側から鍵をかけられた。モヤモヤ感も消えて、自分は書道を辞める選択をして正解やったなって思えた。自分には向いてなかったんだって思うことにして、スッキリした気持ちで書道辞めた

つもりやった。


おんなじ部活で私より上手かった友達は高校卒業しても書道続けてる。

羨ましい。私も書きたい。


小3から片想いだった書道にお別れを告げて3ヶ月経った今、筆も墨池も墨も紙もみんな手放せんし、高校生活と今の生活が異世界みたいで信じられん。本音はあの日々を取り戻したくて仕方ない。


顧問の先生にあんなにはっきり下手ですって言われても顧問の先生も書道も嫌いにはなれんかったわ。

小学生の頃、陶芸が好きで習いに行ってたけど先生がお店閉めちゃって、それからずっと土触ってなかったらいつの間にか陶芸の楽しさ忘れちゃったから書道も忘れられるかなって。

でもそうはいかんかも。
筆を持つ楽しさを忘れるには100年かかるかもな。


書道部、全国レベルやったけど実は部員の半分以上は書道そんなに好きじゃなかったりって感じやったんよね。私は好きやった。

卒展の作品制作は人一倍頑張った。みんながおらん朝の7時からホームルームが始まる8時半まで部室で1人で書いて、部活の後みんなが帰っても私は夜の8時まで書いとることもあった。
でも上手い人達に混ざって受験の実技の練習とかはしきらんかった。無理やもん私には。


書道やりたかったらやればいいやん?って思うやん。でも生きるにはお金が要るやん。私の作品ではお金とれんの。

作品の価値は制作者より見る人が決めるべきっていうのはその通りやと思うけど、そうじゃなくて私の作品を売ってお金もらうの罪悪感が残るんよ。

書道に触れたことない人にとってはすごい作品かもしれんけど顧問の先生に言われたこと思い出したら、偽物で騙してお金取る詐欺師みたいな気持ちになるから。それに顧問の先生の顔に泥を塗るのは絶対に嫌。死んでも嫌。


私は書道が好きやったけど、
書道は私が好きじゃなかったんかもな。

勿体ないけど、私は3年間かけて夢中で水槽に溜めた水をじわじわ蒸発させることにする。もうカリグラフィの蛇口はひねらん。


10年間の片想いに終止符を打った私には、何が残ったんやろうか。

何も残らんかった。

なんで周りのみんなみたいにテキパキ動けんの。
なんで人を好きになれんの。
なんで当たり前のことができんのやろう。

書道だけやなくて、私は人生向いてないと思う。


私は井の中の蛙だった。
それは部活引退してバイト始めてから知った。
バ先に迷惑かけたくなくて辞めたけども。


お気に入りの長峰と一緒に毛氈の上で、字典と法帖と紙と睨めっこしててずっと気づかんかったけど、顔を上げたら周りのみんなはしっかりした大人みたいになっとった。社会人になる為のコミュ力だとか、人間性みたいなのが完成されとった。

部活ばっかり夢中になって、できて当たり前のことができないことにも気付かん私とは違って。

書道が好きじゃなかった書道部のみんなも、保育士とか学芸員とか、みんな将来なりたいものがあってそれぞれの歩む道を決めてた。すごい。


先を見据えた同級生達は何十歩も前を歩いてくし、道に迷っとる場合やないのに。

ただでさえ頭悪いんやけ、将来の選択肢なんかそう多くないはずやし、早く新しい水槽に水を溜めんといけんのに、どの水槽を選べばいいの。


物語の中みたいに、現実世界は優しい大人ばっかりやない。過去に何かあったワケありの主人公を気遣ってくれるバイト先の先輩なんかおるわけない。

そもそも私ワケありやないし、健康だし家庭環境も何も悪くない。ちょっとコミュ障で人が嫌いなだけの平々凡々な18歳。強くも弱くもない。

普通の人なのに、普通になれない。


世の中甘くなかった。
好きなことだけで暮らしていける訳ない。
人生そんな上手くいきっこない。


もう正解がわからん。正解なんかないけど。

人生は芸術と一緒で、何を良い生活、作品と捉えるかは人それぞれよね。



私が生きる術、あるんやろうか